運動指導者なのに・・というちょっとした闇につながる私の運動歴を公開しています。運動嫌いと練習嫌いは違うし、運動が好きと運動は楽しいは同義語のようで違うし、スポーツと体育も違う。この年齢になって振り返っても発見があります。

カヌーに出会う

大学に入学して、まさか自分がカヌースポーツをやるとはこれっぽっちも思っておらず、助手の先生から入部の誘いを受けた時は、単なる興味本位でカヌー体験できるくらいにしか思っていませんでした。しかも土日1泊で泊まりで体験となると小旅行のようでワクワクしたのを思い出します。場所は大学から1時間程度で行ける相模湖。1964年の東京オリンピックでカヌー競技の会場になったところです。そういうこともカヌーをやらなければ知らなかったでしょう。

そして土日1泊の合宿体験です。初日は風を切って進んでいく二人乗りのカヌーに乗せてもらいました。水の上に不安定に浮かぶカヌーに乗り込む時、支えが無くなるなんとも心許ない心境は、チャポチャポと一漕ぎ一漕ぎ進んで行くうちに「おお〜!」という感動に変わっていきました。パドルに感じる水の重さ、遠くに見える景色、顔に当たる風、全てが初めての体験。陸からは見えない湖の奥まで連れて行ってもらった時は、本当に気持ちが良かった!

艇庫からカヌーを出し、ウマ(カヌーを置く台のようなもの)に並べ、座るシートの位置を自分サイズに合わせ、ストレッチャーと言う足を踏ん張る板の位置を調整し、ラダーの動きを確認したらパドルと一緒に船台まで担いで運んで行きます。カヌーを担いで運んでいる上級生がとても格好良かったのを覚えています。

楽しい思いをした初体験のカヌー漕ぎでしたが、現実はそんなに甘くありませんでした。

カヌーに乗れない「沈」の連続

二日目の練習。前日と同じように二人乗りカヌーに乗せてもらい楽しい思いをしたあと、いよいよシングル艇(一人乗りカヌー)に乗ってみることになりました。カヌーを漕ぐのではなく、カヌーに乗る、です。そもそも水の抵抗を減らしなるべく速く進むように設計されているスプリント艇(その昔はレーシング艇と呼んでいました)なので、極端に不安定な構造になっています。シーカヤックやダッキーとは全く別の乗り物です。自動車で例えるならばF1、カヌースプリントの選手はF1レーサーです。素人がF1のスプリント艇に乗るのです。乗れる気がしません…

カヌーから落ちることを沈(ちん)と言います。

もしかしたら…アタシ乗れちゃうんじゃないか?みたいな幻想を一瞬抱きましたがあえなく1秒で沈。普通の人でした(笑)

何度やってもチン。何回チンしたか数えるのをやめました。結局、その日は乗れずに終わりました。その次の週も乗れずに終わりました。その次の週も、その次の週も。水の中に放り出されるようにカヌーから落ちるのですが、最初は落ちる瞬間すらわからないほど一瞬の出来事。気づけば湖の中。それが段々と「うわ〜落ちる」と微妙なバランスの崩れが分かるようになってきました。カヌーのどこかにとても小さな面積でバランスを取れる場所があって、そこに自分の身体がハマった瞬間、乗れるようになっていきます。水が温んでくる頃、自分一人ででカヌーに乗り込み、パドルを握って船台からスッーと離れてカタカタとバランスを取りながら、一漕ぎ二漕ぎと浮かんでいられるようになりました。

元水泳部の本領発揮

数えきれないほど湖に落ちては泳ぎを繰り返すうちに、他の新人部員ほど自分は体力を消耗していないことに気づきました。落ちた場所からカヌーの後ろに回ってバタ足をして船台まで運んだり、救助の仲間のカヌーが来るまで泳ぎ続けたり、足がつかないところで泳ぐのは怖かったけれど、泳げたおかげでピンチを乗り切れたことは何度もありました。泳ぐことがこのような形で生かされるとは想像もしていませんでした。またスイスイ漕いでいる上級生を見て、クロールのように腕を回しながら漕ぐ動作は、もしかしたら水泳と相性が良いかもしれない!もしかしたらやれるかも?と素人ながらに考えました。

他にも入部理由がありました。包み隠さず言えばこっちが本心かもしれません。

それはダメダメだったスイミング時代をやり直すことでした。

キツい合宿生活

年間300日の合宿生活でした。1年生の時は上下関係という人間関係が全く理解できず、上級生にあれこれ頼み事をしてコテンパンにやられました。なぜ上級生の服を洗濯しなければならないのか、なぜ手が空いている上級生に洗濯物を畳むことや配膳を手伝ってもらってはいけないのか、なぜ先輩より早く行って練習の準備をしなくてはいけないのか、なぜ朝練のトレーニングメニューを自分のペースでやってはいけないのか(←これに関しては協議の上変更してもらえた)私にとってはもう理不尽なことだらけです。こうなると水上にいる練習時間が唯一、上下関係から開放される時間になります。ここだけは実力主義。4年後のソウル五輪を狙っている人もいるチームでしたから。

強いチームの中で

競技人口が少ないスポーツもオリンピック、世界選手権、アジア大会、アジア選手権、ユニバーシアードなど海外の試合に出るとなると、それなりに熾烈な争いが待っています。ラッキーなことに4年生の最後の最後にアジア選手権メンバーに滑り込むことができました。先輩にも後輩にもオリンピアンがいる中で、これが私のカヌーにおける最高成績でした。実は入部する時には全く知らなかったのですが、このチームはインカレ常勝軍団でした。コーチは先見の明を持っていたので、トレーニングメニューはハンガリーやドイツの科学的根拠に基づいた先進的な内容が取り入れられていました。トレーニングはめちゃくちゃきつかったです!合宿所の日常生活は精神的にうんざりすることも多かったけれど、練習に関しては根性論や精神論ではなく、水上練習、冬季の陸上トレーニング、どちらも理に適った方法だったので、自分でも納得し競技生活を終えることができています。もうここまで来るとダメダメだったスイミング時代を超越しています。環境は人を変えます。