高齢者を対象とした運動指導の現場で、安全で効果的な運動を提供できる指導者はどこへ行っても信頼も厚く引っ張りだこです。どのような人が引っ張りだこになるかというと、高齢者の特性を理解し、それに基づいた運動指導に必要な知識と指導スキル、そして相手に寄り添う気持ちを持っている人です。

教える相手はほとんどの場合、自分よりも人生経験が豊富な年上の人であり、少なくとも教える側の指導者にとっては、その年齢にならないと経験できない変化の未体験ゾーンがあるわけです。要するに「私の経験」が役に立たない領域があるということを知っておく必要があります。その上で、安全で効果的な運動を提供できる指導者を目指していきたいものです。

私が通っているアレクサンダーテクニークの学校「BODY CHANCE」では「自分の身体の使い方」を学びます。大人になってから改めて学び直しをするので「身体の再教育」とも呼ばれています。習慣と癖が染み付いた馴染みのある自分の身体から、本来あるべき身体の状態をどのように取り戻すかという地道な再学習でもあります。

高齢者向けの運動指導をしていると必ずと言っていいほど「骨格が構造的に変化している状態」の人にとってのラクな姿勢って何??という壁にぶつかります。

腰が曲がっている人に「身体を起こして、背中を伸ばして!」と言ったとします。背中を頑張って伸ばしたとしても、大変な緊張を強いられた状態になります。

「孫がね・・・おばあちゃん、背中丸いよ、って言うの。」

「だから伸ばしたい」

小さなお孫さんは年をとると背中が曲がって骨格が構造的に変化することを知らないのかもしれません。おばあさん自身は、年をとると背中が曲がって骨格が構造的に変化するということを知っているのになぜかいわゆる「気をつけ」の姿勢をしようとするのです。

背中が丸いと言われることは「気をつけ」の号令を連想させ、直立不動の姿勢を取らせる習慣になっているのでしょうか。もしそうだとしたら、考え方が身体の使い方を決めてしまう悪しき習慣の例と言えそうです。

自分の身体に対する実感=ボディイメージと実際の身体の構造が一致すると、実はとても動きやすくなります。運動指導の現場ではなるべく自分の身体に対する事実を認識できるように働きかけています。例えば「お腹の力が抜けてしまって前かがみになっている」「立っている時に母指球が地面から離れている」「首を縮めて動いている」など、自分自身が何をやっているかに気づいていくだけでも変化は起きます。

私の役割は「身体の使い方」を伝え、そして自分一人でも学んでいけるようにサポートすることです。

やらされる運動から選び取っていく運動へ、日々精進です。